私たちの生活に欠かすことができないケータイ。今でこそこんな言葉を冠して語られるようになったが、かつてケータイは企業やビジネスパーソンのためのツールという位置付けであり、普段の生活には縁遠い存在でもあった。
そんなポジションにあったケータイが一気に身近になったきっかけと言えば、やはり、ドコモが1999年2月にスタートさせた『iモード』だろう。Windows 95やWindows 98がリリースされ、インターネットが普及する兆しを見せ始めていた当時、手のひらに収まるケータイで、メールやコンテンツ閲覧といったインターネットを可能にしたのだから、これはもう画期的と言うしかなかった。天気予報やニュース、乗り換え案内など、さまざまなコンテンツ閲覧サービスが月額数百円という手軽な利用料で使えるうえ、オンラインバンキングのように、パソコンでもまだ普及が始まったばかりのサービスもいち早く実現するなど、かなり革新的なサービス内容に驚かされたことをよく覚えている。
当時、東京・原宿クエストで行なわれたiモードの発表会は、端末やサービスの発表会として催されたものではなく、「CM発表会」と銘打たれ、確かテレビCMにも登場する広末涼子がゲストに来ていたと記憶している。メインホールの外には発売予定のiモード端末が並べられ、すぐにタッチ&トライで試すことができた。
【動画】1999年2月から放映された、iモードのCM「ティーザー」篇 | 【動画】1999年3月から放映された、広末涼子が登場するiモードのCM「メイクルーム」篇 |
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1999年2月22日のサービス開始に合わせて発売されたiモード「ムーバ F501i HYPER」 |
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iモードで復活し、再びNECの看板モデルへと進化を遂げていく、折りたたみデザインの「ムーバ N501i HYPER」 |
iモードに対応したケータイは、富士通、三菱電機、松下通信工業(現在のパナソニックモバイル)、NEC(現在のNECカシオ)が開発した4機種がラインアップされ、順次発売された。1999年2月22日のサービス開始に合わせて発売された1号機は、富士通製の「ムーバ F501i HYPER」だ。それまでのケータイと違い、前面と側面で異なるツートーンカラーを採用し、細身のボタンに、スティック式の決定ボタンと4方向のボタンを備えるなど、スタイリッシュで新鮮なデザインのモデルだった。
続いて、3月にはその後のiモード端末の進化に大きな影響を与えたNEC製の「ムーバ N501i HYPER」が発売された。前述のiモードのCM発表会の席において、ドコモのモバイルマルチメディア推進本部ゲートウェイビジネス部の榎啓一部長(当時)が「NECはiモードのために折りたたみを取っておいてくれた」と評したことはあまりにも有名だが、折りたたみデザインはストレートデザインに比べ、画面を大きくでき、メールなどの複数行表示が可能になるというメリットを持っていた。実は、iモードが登場する前、各メーカーは端末の小型化や軽量化にしのぎを削っており、構造上、大きくなってしまう折りたたみデザインは苦戦を強いられ、NECは1997年と1998年には折りたたみデザインをやめ、ストレートデザインのムーバ N206 HYPERなどを開発していた。消えてしまうかもしれなかった折りたたみデザインがiモードで復活し、その後、再びNECの看板モデル、iモードを象徴するモデルへと進化を遂げていく。
そして、5月に入り、松下通信工業製の「ムーバ P501i HYPER」、三菱電機製の「ムーバ D501i HYPER」が相次いで発売される。多機能や小型軽量で人気を得てきたムーバ P501i HYPERは男性、前年のムーバ D206 HYPERのフリップ型を受け継いだムーバ D501i HYPERは女性を中心に人気を集めていた。こうして出揃ったiモード対応ケータイの初代モデルは、発表会以降、「ボクはPを買うつもり」「やっぱ、画面大きいから、Nじゃないの?」「F使ってるけど、なかなかいいよ」「Dがコロンとしてて、かわいい」といった具合に、それぞれの機種選びが語られるようになったのも新鮮だった。当初のiモード端末はP、N、D、Fの4ブランドしかなかったが、逆に、4ブランドしかないがゆえに、それぞれの機種がハッキリとした個性を持ち、ユーザー自身もこだわりを持って、4ブランドの機種を選び始めた時期だった。iモードのスタートはケータイがそれまでよりも一歩、身近になった瞬間だったのかもしれない。
ボク自身、iモード発表会のプレゼンテーションを聞いた直後は、どちらかと言えばパソコンを中心に記事を書いていたこともあり、ケータイでインターネットが利用できることの可能性は認めるものの、「インターネットはパソコンでやるのが筋でしょ」くらいの感想しか持っていなかった。しかし、実際にiモード端末を触ってみると、パソコンのインターネットとはまったく違った世界が画面に拡がっていて、「これは意外に面白いかも……」と興味を持ち直したことを覚えている。
モバイルコンピューティングの台頭
1999年というと、iモードのサービス開始が語られることが多いが、実は、この発表と前後して、もうひとつの変革点を迎えている。1998年12月、ドコモはNTT中央パーソナル通信網からPHS事業を譲り受け、PHSサービスをドコモのブランドネームで提供し始めている。
1992年から1997年を振り返った第1回では、ドコモが当時のマスターネット(現在はGMOインターネット傘下のZERO)と共に提供していた「10円メール」がモバイルの利用シーンを大きく変え、ポケットボードなどのヒット商品を生み出した話を紹介したが、モバイルでの利用にとって、PHSの64kbpsデータ通信サービスは非常に有効で、当時、流行り始めていたB5サイズのノートパソコン(『銀パソ』とも呼ばれていた)と組み合わせ、外出先や出張先でパソコンを使う「モバイルコンピューティング」のスタイルが普及し始めた。なかでもPCカードスロットなどに装着できるドコモの「Mobile Card P-in」をはじめとする「P-in」シリーズ、フリップ式ボディのフリップ部分のカバーを外すと現れるCF Type IIインターフェイスをノートパソコンに装着できる「パルディオ 611S」などは、ボクの周囲でも多くの人が利用していた。
ちなみに、一部はNTTパーソナル時代と被ってしまうが、当時のPHSには「ドラえホン 316S」や「インターネットパルディオ」のように、ユニークなモデルが販売されていたのも印象に強く残っている。個人がケータイを持つようになって以来、さまざまなブランドやプロスポーツチームなどの名前を冠したモデルがリリースされてきたが、ドラえホンはドラえもんを模した独特のボディ形状に加え、留守番電話の応答メッセージを当時のドラえもんの声を担当していた大山のぶ代が吹き込み、着信メロディもテーマソングをプリセットするなど、「コラボレーション」という言葉が相応しい作り込みがされていた。こうした作り手のこだわりが活かされたコラボレーションモデルは、映画「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」の世界観を表現した「SH-06D NERV」、「ジョジョの奇妙な冒険」とのコラボレーションを実現した「L-06D JOJO」など、現在の最新モデルにも受け継がれているかもしれない。一方のインターネットパルディオもモノクロながらも大きな画面でメールやWebページを閲覧でき、スケジュール管理やアドレス帳、ToDoリスト、メモ帳などのPDA機能を搭載するなど、現在のスマートフォンの原型のような仕様となっていた。
ドコモにPHS事業が譲渡されたことで生まれた製品としては、「ドッチーモ」も話題性のあるシリーズだった。ケータイとPHSの両方を搭載し、同時に待受ができ、発信時にはどちらの回線を使うかを選べ、パソコンと接続して、PHSの64kbpsデータ通信も使うことができた。それまでケータイとPHSの2台持ちをしていたユーザーだけでなく、ケータイのみを使いながら、モバイル通信にも興味を持っていたユーザーにも拡がり、モバイルコンピューティングの拡大にもつながった。ドッチーモは1999年4月にシャープ製「SH811」、松下通信工業製「P811」、NEC製「N811」が発売されたが、「iモードが使いたい」というユーザーの声に応え、翌2000年にはiモードにも対応した「スーパードッチーモ」として、シャープ製「SH821i」、松下通信工業製「P821i」、NEC製「N821i」が相次いで発売された。
なかでもスーパードッチーモ SH821iは、いち早くカラー液晶ディスプレイを搭載していたこともあり、個人的にもフル活用した端末の一台として、印象に残っている。iモードでサイトを見たり、iモードメールをやり取りしながら、ときにはパソコンやPDAとケーブルで接続して、PHSのモバイルデータ通信でプロバイダーのメールをチェックし、音声通話も普段はケータイで受けながら、仕事の連絡で音質が大切なときはPHSで発信するなど、2つの回線を用途に応じて、使い分けていた。ちなみに、このときに使っていたスーパードッチーモ SH821iは、現在も我が家のコードレスホンの子機として、活躍している。
着実に進化を遂げたiモード
1999年2月のサービス開始から着実に浸透していったドコモのiモードは、2000年8月には1000万契約を突破するが、2001年3月に2000万契約、同年12月に3000万契約と、契約数は加速度的に増えていく。
iモードの初期には、いろいろとインパクトのある機種があったのを覚えている読者も多いだろう。たとえば、2000年6月に発売された松下通信工業製「ムーバ P209iS HYPER」は、それまでNECの十八番だった「折りたたみデザイン」をはじめて採用し、コンパクトなボディにカラー液晶とサブディスプレイを搭載するという先進的なデザインで、注目を集めた。対するNECも負けておらず、同年7月に開催された沖縄サミットに公式端末として供給されていた「ムーバ N502it HYPER」を9月に発売する。このN502it HYPERは発売日当日に各地のドコモショップで開店前から行列ができるほどの人気ぶりで、特にホワイトのモデルは女性ユーザーを中心に高い人気を得た。
この当時、iモードが一段と拡がり始めていたこともあり、インプレスの「できるシリーズ」でiモードを取り上げたいという話になり、女性ライター3人が執筆し、ボクが監修するという形で、「できるiモード」という書籍も制作した。女性に囲まれて仕事をすることも楽しかった(大変だった?)という話はともかく、主要4ブランド(P、N、D、F)のiモード端末を並べて、それぞれの違いをチェックしながら制作したことで、細かい部分も含め、それぞれの開発メーカーのこだわりの違いを再認識することもできた。
サービス面では2001年1月にJavaを使った「iアプリ」がスタートし、その対応端末として、503iシリーズが登場した。当初はアプリで実現できる機能も制限されていたが、それでもゲームをはじめとした数多くのアプリが登場し、通話でもメールでもインターネットでもない新しいケータイの使い道を体験することができた。
また、2000年から2001年にかけては、それまでNECや松下通信工業、富士通、三菱電機といったドコモの中心メーカーのみがiモード端末を開発していた状況が変わり、新たに多くのメーカーが開発したiモード端末が登場した。映画で人気を得たモデルにも似たアクティブスライド採用のノキア製「ムーバ NM502i HYPER」、いち早く音楽再生機能を搭載したソニー製「DoCoMo by Sony SO502iWM」、ヨーロッパテイストのデザインで仕上げられたエリクソン製「DoCoMo by ERICSSON ER209i」、iモード初の防水を実現した日本無線製「GEOFREE R691i」、初のiショット対応ケータイとなったシャープ製「ムーバ SH251i」など、ユニークかつ魅力的なモデルが次々と登場し、iモードが成熟してきたことをうかがわせた。業界を取材しながら、自身もケータイを使っている立場の者としては、チェックしなければならないiモード端末が増え、それまで以上に忙しくなって大変だったが、いま振り返るとそれもいい思い出だったと思う。
FOMAへの挑戦
ムーバでのiモード端末とサービスが成熟していくなか、ドコモはいよいよ2001年から次の時代を見据えた第三世代携帯電話サービス「FOMA」の提供を開始する。宇多田ヒカルが出演したテレビCMは、自身の楽曲「traveling」と共に、新しい時代の到来を予感させる新鮮なイメージを受けた人も多いだろう。
テレビCMなどでは未来を感じさせてくれたFOMAだったが、それまでのムーバで採用されていたPDC方式と違い、世界初のW-CDMA方式を採用したこともあり、サービス開始当初は苦戦を強いられた。エリアは最初から構築しなければならないうえ、端末もはじめての通信方式に対応したものを開発するため、試験項目や確認事項も膨大で、まさに「チャレンジ」という言葉がピッタリ来るほどの難しい取り組みだったと言われる。ちなみに、FOMAのエリアはサービス開始後、着実に拡がり、2007年3月には人口カバー率100%を達成し、さらに高速なHSDPA方式を採用したFOMAハイスピードも2008年12月に人口カバー率100%を達成している。この2001年から2008年へかけて、着実に積み重ねられたエリアが現在のドコモのつながりやすさのベースになっているわけだ。
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FOMAサービス開始時に発売されたNEC製「FOMA N2001」(右)と松下通信工業製「FOMA P2101V」。2002年サッカーW杯をスタジアムで観戦したとき、ハーフタイムにP2101Vを使って、編集部とテレビ電話を楽しんだ |
FOMAサービス開始当初にラインアップされた端末は、スタンダードタイプのNEC製「FOMA N2001」、ビジュアルタイプの松下通信工業製「FOMA P2101V」、データタイプの松下通信工業製「FOMA P2401」の3機種だった。これらの内、音声通話に対応した2機種はそれまで市場の中心的な存在だったムーバのiモード端末に比べ、ひと回りサイズが大きいうえ、連続使用時間も短いなど、日常的な利用には少し苦労したことを記憶している。最近で言えば、ちょうど初期のスマートフォンを使い始めた頃の感覚に近い。しかし、それでもムーバの受信時最大9.6kbpsの40倍に相当する受信時最大384kbpsで体験するiモードは、それまでに体験したことがないほどの快適さで、「最新のものを使っている」といううれしさもあり、いつもネックストラップでFOMA N2001を首からぶら下げて使っていた。ある日、街中で買い物をしていたら、同じ店内に居た人に、「あっ、あれって、FOMAじゃん」と指をさされたなんていうこともあり、驚き半分、うれしさ半分のような不思議な気分も味わった。
今から振り返ると、iモードのスタートからFOMAのサービス開始までの数年間は、人とケータイの関わりが大きく変わり始め、ケータイが身近な存在になり始めた時期だった。「話すケータイから使うケータイへ」という言葉を生み出したiモードは、サービス面において、ケータイやスマートフォンを中心とした今日のモバイルビジネスのベースを生み出したものであり、世界初のW-CDMA方式を採用した第三世代携帯電話サービスとしてスタートしたFOMAは、端末もネットワークもサービスもゼロから作り上げ、それまでのモバイルビジネスの可能性を大きく拡げることに成功した革新的なサービスだったと言えるだろう。それだけに、端末やサービス、テレビCMなどにも印象深いものが多く、おそらく読者のみなさんもいろいろなエピソードや思い出があったのではないだろうか。
※ 掲載の内容は2012年7月30日現在の情報です。
---第3回(8月6日掲載予定)は、
FOMAのさらなる発展と、iモードサービスの充実などを迫っていきます。
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1963年神奈川県出身。携帯電話をはじめ、パソコン関連の解説記事や製品試用レポートなどを執筆。「できるWindows 7」、「できるポケット docomo AQUOS PHONE SH-01D スマートに使いこなす基本&活用ワザ 150」、「できるポケット+ GALAXY S III」(インプレスジャパン)など、著書も多数。ホームページはPC用の他、各ケータイに対応。Impress Watch Videoで「法林岳之のケータイしようぜ!!」も配信中。
- ■URL
- ドコモthanksキャンペーン/DOCOMO 20YEARS COLLECTION
http://walkwithyou.jp/thanks/PC/#collection - 【特別企画】法林岳之が語る
「これまでも、これからも。みんなといっしょに歩み続けたドコモの20年」
第1回 デジタル化、そしてパケット通信へ
http://ad.impress.co.jp/special/docomo20th/01/ - 【特別企画】法林岳之が語る
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第3回 おサイフケータイ開始、進化を続けるFOMA
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第4回 スマートフォン&Xiでもっと楽しく、もっと便利に
http://ad.impress.co.jp/special/docomo20th/04/