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はじめて使うはずなのに気がつけば自然に操作ができているし、それぞれの機能が有機的に融合することによって、InputからOutputまでの一連の作業がまるでストーリーのように展開されるように感じることさえある。
ハードウェアにしろ、ソフトウェアにしろ、サービスにしろ、そこには開発者や提供者の思いや世界観が込められているが、完成度の高いUIというのは、単なる機能の接点なのではなく、開発者と利用者の間で、この世界観までもを共有できるものなのだろう。
そう考えると、quanpのUIというのは、実に興味深い。少し触ってみただけでも、そこに常とは違う世界が広がっていることが感じられる。
果たして、このUIはどのようなコンセプトで、どのように創られたのだろうか? quanpのデザインを手がけた、株式会社リコー 総合経営企画室 総合デザインセンター イノベーションデザインセンター アドバンストビジュアルコミュニケーション室 デザイナー 諸星博氏、そしてUIの技術面を支える同社 MFP事業本部 CPS-PT 荒海雄一氏、MFP事業本部 CPS-PT 平田聡氏に話を伺った。
quanpは、サービスとして分類するとすればオンラインストレージに相当する。ネット上のストレージに、写真や映像、文書などを保存、共有することができるサービスだ。しかしながら、その実は、「Life Memory」と表現されたサービス全体のコンセプトが示す通り(第1回参照)、写真や文書などのデータとして形を変えた人生、つまり「もう一人の自分」が存在する場所にほかならない。
このquanp上の「もう一人の自分」と現在の自分をつなぐための“道具”、つまりクライアントソフトウェアである「quanp.on」の中に、どのようにコンセプトを落とし込むか、それが諸星氏の使命であったわけだ。
このような中、諸星氏が最初に思い描いたのは、長いトンネルのような空間をイメージしたUIだ。「Life Memoryというコンセプトを考えると、その情報の時間の流れは一軸だと考えました。その具体的なイメージとして、過去から未来へと続く、長いトンネルのような廊下を考えました(諸星氏)」という。
このトンネルから発展した初期のquanp.onのドラフトイメージは、現在のquanp.onのUIを彷彿とさせるもので、奥へと続く長い廊下は、時間軸をあらわしたものだという。
quanp.onを起動すると、最初に5×5のマスが表示される。これは、PCで言うところのフォルダに相当するもので、ファイルをカテゴリごとに分類しておくためのものとなるが、quanpでは、この横軸をレイヤー、各マスをプレイスと表現している。
この左右上下の軸の考え方はquanpが保管する対象となる「Life」に密接に関連している。「基本は一軸として考えましたが、利用者の視点で考えると、仕事の自分だとか、プライベートの自分だとか、いろいろな自分がいます。そう考えると、一本の廊下というよりは、空間に広がりを与えても良いのではないかということで、現在の形態にしました(諸星氏)」ということだ。
面白いのは、このレイヤーとプレイスの分類方法で、その人の人生の方向性がある程度わかることだ。諸星氏から、この話を伺った後、自らが利用しているquanp.onのプレイスを眺めてみたところ、中心に仕事関連のプレイスが多く配置されており、家族の写真などのプレイスは端に追いやられていた。なにやら心理テストでも受けたかのような印象だ。


quanp.onでは、こういったアニメーション処理が多用されており、ログオン時に表示されるロゴの周りを回転する光、ファイルをアップロードする際にデータが流れていく様子と最後にファイルが「q」の文字の穴に吸い込まれる様子のアニメーション、終了時に徐々に表示される「See you next time.」の表示など、なかなか凝った演出がなされている。
これらの演出は、諸星氏によると「利用者を飽きさせないという工夫」でもあるという。サーバー側の担当者である荒海氏によると「プロトコルなども工夫していますが、どうしてもオンラインであるためファイルのアップロードやサムネイル表示などのタイムラグは避けられない」という。
また、クライアントの技術を担当する平田氏も「専用クライアントを使うということで、ユーザーによってはローカルで操作しているような錯覚を覚えてしまうことがあります。しかし、実際には当然オンラインでのやり取りになります」とのことで、この時間をアニメーションによって、なるべく短く感じられるように工夫していることになる。
一見してしまうと、アニメーションが操作のボトルネックになってしまっているように思えるかもしれないが、実は全くその逆というわけだ。
「quanp上のデータをGoogle Earthのように、広い範囲から狭い範囲へとシームレスにズームできるようなUIにしたいと考えています(諸星)」とのことだ。
現状のquanp.onでも、ズーム機能を利用してファイルのサムネイルを大きくしたり、俯瞰図的な角度から眺められるようにアングルを変更することができるが、これをさらに発展させ、より広範囲に、そしてよりスムーズに視点を変えられるようにしたいというわけだ。
これはquanpの世界観を発展させるものとしても応用できそうだ。ミクロの視点で見ればひとつの単純な写真データも、マクロの視点で見れば自分を形成する年表の一部となっている。この年表、つまり人生は、自分だけででなくいろいろな人のものがquanp上に存在するわけで、もしかすると自分と他人の人生の接点が、quanpによって可視化できる可能性がある。
quanp.onというクライアントツールの本質はここにあると考えるのが妥当だろう。つまり、単純にquanpに情報を蓄えるだけなら、クライアントのUIは問わない、そもそも専用クライアントも必要ないかもしれない。しかし、その蓄えられた(Memory)人生(Life)を可視化するとなれば、これには直感的に理解できたり、使えたりするUIが不可欠となる。最終的に目指すUIは、この姿なのだろう。
通常、このようなサービスを、新たな技術を駆使して、しかもクロスファンクショナルなチーム編成で実現しようとすると、組織間の対立、理想と現実(技術面)のギャップなどから、大抵の場合はデザイン系と技術系での対立が発生し、最終的にいずれかのパワーバランスに左右された中途半端な完成品ができあがってしまうことがある。
しかし、今回のquanp.onのケースでは、このような対立がどうやらなさそうだ。話を聞いてみると、開発に於いては、サーバ側の技術面を支える荒海氏、クライアントの技術面を支える平田氏、そしてデザインの諸星氏、さらにそれを支える他のメンバーと、関係者の間で非常に濃密なコミュニケーションが行われながらプロジェクトが進められているようであった。
もちろん、現状の技術的な制約から、デザインチームとして実現したい要求がすべて実現されているというわけではないようだが、デザインと技術の双方で「なぜ、そのデザインや機能が必要なのか」、「現状の技術では何がどこまで実現できるのか」という意識の摺り合わせがきちんとできている印象を受けた。実際、従来のような仕様書ベースのプロジェクトの進め方では、今回のquanp.onのUIは実現できなかったと言う。

つまり、現状のquanp.onのUIは、デザインと技術の両部門が“妥協”したものではなく、“納得”した上での完成品となっているわけだ。
製品やサービスにデザインの重要性が要求されるようになり、感性や創造性が企業にとっての重要な経営資源になりつつあるが、このマネジメントというのは、どの企業も苦慮する難しい課題だ。今回のquanpのケースは、この極めて難しい感性や創造性のマネジメントに成功しつつある貴重なケースであると言っても過言ではないだろう。
清水理史