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バイオテクノロジーでナノ構造半導体を製造
タンパク質を利用すると、切手サイズの1TBが可能に?

松下電器産業株式会社 先端技術研究所
 既存のトップダウン加工で作りこんだ微細構造上に、バイオ分子を使って、既存手法では作製困難なさらに小さなナノ構造を作るプロセスを「バイオナノプロセス」と呼ぶ。「バイオ」を活用した「ナノプロセス」である。 しかし、バイオは曖昧模糊とした「やわらかい」世界だ。いっぽう半導体プロセスは「ガチガチ」の世界である。両者は組み合わさるのだろうか−−? そこにこそ真のブレイクスルーがあるという。関西の研究学園都市・けいはんな地区にある松下電器産業株式会社 先端技術研究所を訪問した。


「フェリチン」
 松下電器がタンパク質分子の一種である「フェリチン」を使った新しい半導体製造プロセスを開発した。プロセスとは製造工程や手順、加工という意味である。リリースを読むと、文部科学省「経済活性化のための研究開発プロジェクト(リーディングプロジェクト)」で実施された研究で、これまでの作り方では難しかった、数ナノメートルの超微細構造の半導体が形成可能になり「切手の大きさで1テラバイトの記憶容量を持つ大容量メモリの開発に弾みがつく」とある。切手サイズで1テラとなると、いま市販されている最大容量である2層Blu-rayディスク(50GB)の20倍の容量が指先サイズにおさまることになる。


フェリチン

 フェリチンとは、動物の体内にある球殻状のタンパク質分子だ。人間はもちろん、植物、細菌に至るまで広く様々な生物が持っているタンパク質である。大きさおおよそ12ナノメートル。鉄を貯蔵するタンパク質で、肝臓や脾臓に存在している。実験材料として使っているフェリチンは、馬の脾臓にあるもので、その遺伝子を大腸菌に組み込んで作らせる。
(C)松下電器産業株式会社
球殻状のタンパク質分子「フェリチン」


 意外に感じるかもしれないが、生体内では様々な金属元素が金属イオンの形で活躍している。たとえばタンパク質の活性中心、すなわち反応の中心部には金属元素が埋められている。それが電子をやりとりすることでタンパク質の機能は発揮されているのだ。生物は微細なエレクトロニクスをうまく使いこなしているナノマシンの集合体とも言える。

 鉄は体内では鉄イオンとして存在しており、「トランスフェリン」という専用の運び屋タンパク質によって体内各所に運ばれている。そのいっぽう、鉄の貯蔵役として働くタンパク質が「フェリチン」である。生体は鉄が不足するとフェリチンから鉄を取りだして利用し、いっぽう、鉄分が多くなりすぎると貯蔵する。

 さて、フェリチンの構造をもう少し詳しくみてみよう。フェリチンは分子量18500のサブユニットが24個寄り集まってできた分子量およそ44万のタンパク質だ。なかが空洞の、角がとれたサイコロのようなものだ。空隙の大きさはおおよそ7ナノメートル程度。内外を繋ぐチャネルが8つあり、内部に3000個〜4500個の鉄原子を酸化鉄の状態で収納している。このような、生物が無機物を析出する働きを「バイオミネラリゼーション」と呼ぶ。たとえば歯や骨、貝殻の形成などもバイオミネラリゼーションの一種だ。

 普通の製造手法では、大きさ7ナノメートルの鉄の均質な粒を大量に作ることは難しい。だがバイオ分子を使えば苦もなくそれができるのである。フェリチンそのものはタンパク質なので大腸菌に遺伝子を入れて大量発現させてやれば、均一の性質のものを大量に得ることができる。しかもタンパク質なので、サブユニットとなるタンパク質の遺伝子を適切に設計することで、分子設計そのものに手を加えることができる。

 酸化鉄以外の原子を入れたり、イオンの入り方を変えたりすることもできる。これまでに酸化鉄、酸化コバルト、酸化亜鉛、ニッケル化合物、硫化金、硫化白金を入れることに成功している。タンパク質殻の大きさや、内部に入る金属原子との反応も制御することができる。松下電器先端技術研究所では遺伝子改変フェリチン一つとっても50種類以上、様々なタイプのタンパク質分子を作っているそうだ。

 もう一つ、タンパク質には重要な性質がある。勝手に寄り集まる性質、「自己組織化」である。フェリチンにもこの性質がある。これをうまく使えば、フェリチンを平面上に自己集合させることができる。もちろん上述のように遺伝子組み換えによって、基盤に配列させるための自己組織化反応そのものも制御することができる。また、フェリチン分子の表面を化学的に修飾、すなわち他の分子を貼り付けることで、その相互作用を促進することもできる。

 フェリチンを綺麗に配置できるということは、内包している酸化鉄そのほか金属のドットも一緒に配置できるということだ。


量子ドット

 話が少し飛ぶが、大きさ10ナノメートル以下の金属のドットは、バルク、つまり大きなかたまりの金属とは異なる性質の「量子ドット」としての性質を持つようになる。このことは1962年の久保亮五らの先駆的研究や、1982年に東大先端研の榊裕之・荒川泰彦らに発表された「量子箱」の研究等によって知られている。現在では実際に作られた構造が「箱」というより「ドット」状であることから「量子ドット」と呼ばれている。

 量子ドットとは一言でいえば電子数個を閉じこめることのできる箱である。量子ドットは大きさが非常に小さい。そのため、「量子サイズ効果」が現れるのである。電子が好き勝手に動くことができるバルクと違って、三次元的な自由度を奪われた箱のなかでは、電子の波動としての性質が現れ始めるのだ。それとクーロン斥力が働くことによって、量子ドット中の電子のエネルギー準位は離散的、つまりとびとびのエネルギー状態しか持てなくなる。

 現在のトランジスタは数万個の電子でオンオフを制御している。だが電子一つ一つの動きを捉えて制御できるようになるのであれば、消費電力を格段に下げたデバイスができる。また、量子ドットの材料やサイズによって、電子の個数やエネルギー状態をコントロールすることも可能になる。

 このような量子ドットを均等に配列させて電子の出入りを制御することができれば、多値メモリーや単電子トランジスタとして使うことができる。他にも量子ドットにはレーザーの発信源のような発光デバイスや単一光子の検出素子そのほか、電子デバイスとして様々な可能性がある。量子ドットを作るには半導体を微細加工で島状にしたり、MBE(分子線エピタキシー)で成長させるといった手法が一般的だ。

 また、現在のフォトリソグラフィー技術による半導体デバイス製造が、マスクの製造限界やリソグラフィー用の光源波長など根本的な技術課題にぶつかっており、また大規模施設を必要とすることからの投資規模の問題など、様々な課題を抱えていることは本誌読者ならばご存じだろう。様々な努力が積み重ねられた結果、現在の線幅は45ナノメートルオーダーを達成している。だがさらなる微細化・集積化が求められている。

(C)松下電器産業株式会社
ムーアの法則の破綻は近い
現在は45nmオーダーで半導体ウェハを作製している


バイオナノプロセス

 限界を超える−−そのための手法の一つがタンパク質を使った「バイオナノプロセス」だ。タンパク質を工学的な視点から見直してみると、一つの遺伝子から作られるタンパク質はみな同じ構造をしていることからナノ構造を作製する上で理想的なナノブロックだと言える。また、100ナノメートル以下のナノ構造を作製するのに不可欠なボトムアップ技術ともいえる自己組織化能を持っている。この性質を使えば材料表面を認識させ、電子エレメントを任意の位置に配置させることもできる。さらにタンパク質の表面は無機材料の析出を誘導できる。バイオミネラリゼーションだ。これはバイオと無機テクノロジーの接点として捉えることができる。いっぽう、熱や化学条件には弱く、半導体作製という面で見ると、除去すべき汚染物質でもある。

(C)松下電器産業株式会社
タンパク質は理想的なナノブロックとして働く
>(C)松下電器産業株式会社
バイオナノプロセス


松下電器産業株式会社 先端技術研究所 山下一郎主幹研究員
 今回、フローティングナノドットゲートメモリのプロトタイプ作製に成功した松下電器産業株式会社 先端技術研究所の山下一郎主幹研究員は、フェリチンを使った「バイオナノプロセス」の研究開発を1997年から行ってきた。2001年には既にフェリチンを使って量子ドットを作製することに成功している。多くの大学との産学共同研究であり、東北大学寒川研究室とは中性粒子ビームを応用したナノカラム、ナノディスク、量子井戸の作製を、東工大の原研究室とはナノ粒子二次元結晶配置制御を、癌研究所の芝研究室とは無機材料認識ペプチドの開発応用を、奈良先端大の冬木研究室とはメモリの作成、プロセス整合性実証研究を行っている。

 奈良先端大学のなかにはバイオナノプロセス実験施設も建てられている。互いにバックグラウンドも言葉も異なるバイオと半導体の研究者が、同じ場所でディスカッションできるこの施設ができたことで「一挙に研究が加速した」という。

(C)松下電器産業株式会社
研究は産学共同で行われている
(C)松下電器産業株式会社
各大学との共同研究体制


 中に鉄が入っているのだからそれを並べてタンパク質を焼けばいいだけではないかと思うかもしれないが、それほど世の中は甘くない。

 まず、フェリチン内の鉄は酸化鉄であり、そのままの状態では量子ドットとしては用いることができない。還元する必要がある。まずこの点に多くの人が疑問を持っていたという。

 また、フェリチンのようなタンパク質はNaClやKClなどの塩のある環境、いわゆる生理食塩水のなかでなければ生きていけないと考えられていた。だがNaやKなどのアルカリ金属イオンはシリコン半導体の世界では除去すべきものである。誤動作の原因となるからだ。よって、タンパク質はナノ構造を作ることは可能だが、それを半導体に使うことはできないと考えられていたという。

 だが山下氏らは、鉄を取り込ませたあとのフェリチン溶液をゲル濾過と限外濾過を組み合わせて精製することで、溶液中のアルカリ金属イオン濃度を50ppt(1兆分の50)、すなわち100億分の1以下に除去することに成功した。フェリチン以外にもDpsというタンパク質も使って実験してみたところ、やはり内部のナノドットを並べることができた。常識と異なり、塩を抜いてタンパク質は問題なく構造を維持できることが分かった。

(C)松下電器産業株式会社
ゲル濾過と限外濾過によるフェリチン溶液のアルカリ金属フリー化
(C)松下電器産業株式会社
塩を抜いてもタンパク質の構造は維持できる


 以前は合成ポリペプチド膜上にフェリチンを配列させて転写していたが、いまはシリコン基板の上にカーボンの層を作り、その上に直接フェリチン溶液を垂らして吸着させて二次元配列化させている。遺伝子工学を使ってナノカーボン材料に吸着する分子鎖を外側に固定。それをアンカーとしてフェリチンとフェリチン、フェリチンと基板の間の作用を制御することができた。ただし、実際にどのような力が働いて基板とフェリチンがくっついているのかについてはまだ解析中だという。

 また、シリコン上に電子ビームリソグラフィーでチタンのパターンを作り、チタンにだけくっつくようにすることも遺伝子工学でできるようになっている。チタン特異的認識ペプチドをフェリチンにつけることで、チタンの六角形パターンの上にきれいに二次元配列ができている。面白いことに電子顕微鏡写真を見ると、土台となるチタンのパターンそのものの形が崩れていると、そのまま崩れている形を再現して張り付いている。

 また表面がマイナスの電荷を帯びるように遺伝子改変したフェリチンを使うことで、狙った位置に触媒ナノ粒子を配置してカーボンナノチューブを生やすことにも成功している。機械的なデバイス作製にも応用できるのではないかと考えているという。

(C)松下電器産業株式会社
フェリチン表面に分子鎖を付けてカーボンに吸着させる
(C)松下電器産業株式会社
チタン表面に特異的に吸着させられる
(C)松下電器産業株式会社
カーボンナノチューブをフェリチン上に生やすことも可能


「10ナノメートルを切った途端に世界が変わる」と語る山下氏
 さて、こうしてシリコン基板に貼り付けたフェリチンをUVオゾン処理を行いタンパク質だけ除去する。すると、内包された金属粒子だけがタンパク質ピッチを維持して残る。金属粒子がお互いに引きつけあってしまうことなくその場所に残る理由は、まだよく分かっていない。だがタンパク質が徐々に崩壊することで、じわっとタッチダウンしているからではないかと考えられるという。実際のその様子を捉えることはなかなか難しい。極微の世界の極短時間の反応だからだ。山下氏は「10ナノメートルを切った途端に世界が変わる。見るのも触るのも、途端に難しくなる」と語る。

 だがこの金属粒子は金属酸化物である。還元して改質しなければ電子デバイス材料としては使えない。そのため、励起して反応しやすくした窒素雰囲気中で約500℃で加熱処理する。この過程で金属酸化物が還元されて金属になる。従来の半導体製造の1000度に比べるとだいぶ低温であるため、将来の製品製造コストも低く抑えられるという。

 このあと、シリコン酸化膜をスパッタ法で作製して、コアを埋め込み、その上に電極などを通常の半導体プロセスで作製する。このデバイス作製は、奈良先端大のバイオナノプロセス実験施設で冬木教授と密に協力しつつ行われ、バイオ技術で作られたナノ粒子への実際の電荷注入特性を確認し、フローティングゲートメモリを作製した。

 フローティングゲートメモリとは、身近なところではフラッシュメモリに使われているMOSトランジスタである。ゲート電極の下の酸化絶縁膜に電荷を保持できる領域を埋め込み、その電荷保持領域の電荷のありなしによって、ソースとドレインの間を流れる電流の閾値を変化させることで記憶を行う。電荷保持領域に電荷が蓄えられていないときはソースとドレインの間を普通に電流が流れる。だが電荷がいったん電荷保持領域に蓄えられると閾値が上がり、ソースからドレインの間には電流が流れなくなる。つまり電荷保持領域の電荷のあるなしで記憶ができるのである。

 この電荷保持領域に、今回のタンパク質を利用して作った酸化コバルトのドットを使ったところ、実際にフローティングゲートメモリとして動作することが確認された。実験結果からメモリ保持特性は10年、書き込みと読み出しの耐久性も10万回以上耐えられると考えられると推定されたことから、メモリとして実用性もあると考えられた。水溶液中で勝手に配列したナノドット構造がメモリとして使えることが確認されたのである。

 また、フェリチンを使ってクーロン・アイランド(電子一個が入る島)を作製し、単電子トランジスタの作製にも成功している。

(C)松下電器産業株式会社
ナノ粒子への電荷注入特性
(C)松下電器産業株式会社
フェリチンを使ったメモリ作製過程
(C)松下電器産業株式会社
ドットを使ったフローティングゲートメモリの動作原理

(C)松下電器産業株式会社
今回作製されたフローティングゲートメモリの特性
(C)松下電器産業株式会社
メモリ保持特性は10年、書き込みと読み出しの耐久性も10万回以上耐えられる(推定)
(C)松下電器産業株式会社
フェリチンを使った単電子トランジスタ


 さらに将来を睨んだ研究として、大阪大学柳田研究室と共同で、低消費電力のプロセッサーを実現するための研究も行っている。生体情報処理を利用した回路設計だ。例えば電子一つを100mVでスイッチングするということは、室温のわずか四倍程度の熱エネルギーしか扱ってないことに相当する。ということはかなりノイズに強い情報処理を可能にしなければならない。そのために生体に学んだ確率的ベクトルマッチング法、確率共鳴を使った研究も行っている。バイオナノデバイスを作ったデバイスが行き着くところは、生物に近いような動作原理で動くデバイスなのかもしれない。


ジャボッと漬けるだけで機能素子を作る

 リソグラフィーをはじめとしたトップダウン加工技術と自己組織化などボトムアップ加工技術、両者のプロセスを統合し、バイオ、デバイス、化学、物理などの融合領域で、「TrueNano」を実現していきたいというのが山下氏らの考えだ。そのキーとなるのが、バイオを活用した「ナノ材料合成」と「ナノ集積技術」である。これを半導体生産のパラダイムシフトとすることで新しい産業を創出していきたいという。

 フェリチンを使った半導体プロセスは、極端にいえば「基板をジャボッとフェリチン溶液に漬けるだけ」だ。単電子デバイスでさえ「ジャボッと漬けるだけ」でできるかもしれないのだ。「通常の半導体プロセスや配線なんかはどこでやってもいいわけです。配線の端と端のなかに機能を持つタンパク質を付けるためにジャボッと漬けて出せばトランジスタができる。とすると、今までの半導体工場は変わってしまうんじゃないかなと」。電子デバイスになるまったく新しいタンパク質の設計技術のような付加価値こそ、これからの日本には必要なのではないかと熱く語る。

(C)松下電器産業株式会社
バイオ、デバイス、化学、物理の融合、そしてトップダウンとボトムアップのプロセスを統合する
(C)松下電器産業株式会社
将来は電子デバイスの作り方が変わるという


べん毛モーターからバイオミネラリゼーションを利用した電子デバイス研究へ

(C)松下電器産業株式会社
バクテリアはべん毛で動く
 山下氏が、フェリチンを使えばいけるのではないかと考えた理由はなんだったのだろうか。フェリチンが金属元素を内部に蓄えること、その大きさが量子ドットサイズであること自体は、他の人たちにも知られていたことである。なぜ山下氏だけがそれを電子デバイス材料として使えないかと考えたのだろうか。

 「飢えていたからでしょう。研究者として、自分の新しい世界を作りたいと考えていましたから」

 山下氏は、フェリチンを扱い始める前は、バクテリアのべん毛モーターの研究を行っていた。バクテリアの電子顕微鏡写真を見ると、毛のようなものが生えている。その毛のようなものが「べん毛」だ。長さは10マイクロメートル少々、太さは直径20ナノメートル。バクテリアはこれを使って泳いだり、方向転換したりしている。べん毛の基部を見ると、驚くべき事が分かる。固定子、回転子、軸受けにシャフトと、まるで人間が設計したようなモーター構造になっているのだ。生物で最初に見つかった回転システムが、このべん毛モーターである。しかもこのモーターは、材料を入れて混ぜるだけで自己組織化するのである。

 電子デバイス、無機材料の世界にいたものの、何か新しいことをやりたい、と考えていた山下氏は、会社の上司のすすめで大阪大学の難波啓一教授のもとで、この研究に入った。そしてわずか半年で成果を出した。直線型べん毛のフィラメントを液晶化することに成功し、この構造を解析してべん毛の多型変換のメカニズムに迫った。

 「ラッキーなことに私は生物を知りませんから、無機材料の感覚で生物を扱ったんです。タンパク質の研究者はすぐに『生理食塩水で』というけれど、私はまず水からいこうと。できるだけピュアにしていこうと考えたんです」。

 なかにはこれに10年以上取り組んでいた研究者もいたそうだが、まったくの異分野から参入した山下氏は常識に囚われることなく取り組み、あっさり成功してしまったのである。これは、山下氏自身にとっても「融合研究の面白さ」を実感として体験した重要な成功経験となった。多くの人は「常識の世界にいる」という。だが互いに持っている常識を捨てれば「新しいものが開けるはず」だと思った。

 いっぽう、べん毛モーターも自分の世界とは少し違うと思ったという。べん毛モーターを直接、電子デバイス材料として扱うことは難しいからだ。そこで何とか電子デバイスの世界で使えるものはないか。そう考えていたときに頭のなかに浮かんだのが、電子顕微鏡のマーカーとして使われていたフェリチンだった。バイオミネラリゼーションによって無機材料も析出するし、二次元結晶も作れる。面白いのではないかと考えた。

 「電子デバイスの人は、フェリチンなんか見てない。でも電子デバイスの世界の人が生物の世界に行ったら、使えるネタが山ほどあるんです」

研究にはラッキーも必要だという山下氏
 また、研究にはラッキーも必要だ。山下氏らのグループでも、こんなことがあった。ある研究者がフェリチン内部に金属元素を取り込ませるときに、内部での反応を安定化させるために外側の反応を阻害するアンモニアの量を桁違いにドバッと入れてしまったことがあった。ところが、そのほうが逆にフェリチンへの金属元素取り込みがスムーズに行くことが分かり、分子設計をやり直すことになった。まさにセレンディピティである。

 「だからラッキーもいるんです。基礎研究ですから戦略的に方向性をじっくり考えることももちろん重要ですが、ラッキーも重要なんです」


融合研究が未来を拓く

 今後は、さらに大規模な「マクロナノ構造」を作り上げることも考えている。たとえば真珠である。真珠はバイオミネラリゼーションによってナノ構造が積層化した構造物だ。それと似たような仕組みを使って、縦方向には力学的に強いが横方向には伸びる機能デバイスを作る。そうすると、ものすごく柔らかくて柔軟な電子基板ができるのではないか、というわけだ。

 そのほかにもDpsという別の球殻状タンパク質とT4ファージというウイルスのタンパク質を組み合わせた「キメラタンパク質」も作製している。これはナノサイズのボールの周囲に四本手が生えた「ボール・アンド・スパイク」型構造のタンパク質だ。これももちろんトランジスタの材料である。そのほかにも大型のロッド内部に無機材料を析出させ、配線用のナノワイヤーも作っている。

 また、奈良先端大学の物質創成科学研究科の冬木隆教授、浦岡行助教授らと共同で、非晶質のシリコン薄膜の上にフェリチンタンパクを吸着させて瞬間熱処理することで、粒径10マイクロメートルの結晶を瞬時に作製することにも成功している。これはフレキシブルな「シートコンピュータ」作製に繋がる技術だという。

 他にも様々なものを作っているようだ。聞けば聞くほどいろいろな材料の話が出てくる。まだ企業秘密の段階のものも含めればさらに色々あるのだろう。

ものづくり立国・日本の将来は、領域を超えた真の融合研究が新たな未来を拓くのかもしれない
 「タンパク質にはこういうポテンシャルがあるんですよ。しかもジャボッと漬けるだけで構造ができるんです。日本はこういうところに行かないと駄目ですよ。そうでないと駄目になる」

 インタビュー中、山下氏が最も熱く語ったのはものづくり立国・日本の将来についてだった。常識や偏見、既存のバックグラウンドを打ち破った、領域を超えた真の融合研究が新たな未来を拓くのかもしれない。




URL
これもパナソニック。 〜出会いから生まれる技とモノ〜
http://panasonic.co.jp/ism/koremo/
フェリチンと山下博士 タンパク質でつくる半導体
http://panasonic.co.jp/ism/koremo/02_ferritin/index.html


□大容量メモリーデバイスの実現に貢献
 バイオテクノロジーによるナノ構造半導体形成法を開発
 大規模設備を必要としない新たな半導体プロセスを実現
 http://panasonic.co.jp/corp/news/official.data/data.dir/jn080321-1/jn080321-1.html

□世界初、バイオの力で高品質シリコン薄膜をわずか数秒で作製することに成功
 〜ユビキタスコンピューティングの実現に道。LSIレベルに近いトランジスタが柔軟な基板上に〜
 http://panasonic.co.jp/corp/news/official.data/data.dir/jn070320-9/jn070320-9.html?ref=news




( 森山和道 )
2008/09/09 0:00

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